翔の会

翔の会Today

[リレーコラム] VOL.001

〜「主観」から始まる「理解」〜
うーたん・おーらい施設長 松永徹(まつながとおる)
人は人の中で生きる、という。人が人でありえるのは、人の中で生きるからで、本当に喜びを感じたり、癒されたりすることは、他人との関係のなかにある。その一方で、人と関わることで苦しさや辛さを味わうこともある。

人は、受動的な存在だ、ともいう。それは、自分が今あるようにあることは、必ずしも自分が望んだことでななく、気が付いたら、そのようであるしかなかった。そのような存在だということを意味している。人は自分の生まれを選ぶことはできない。

ある時気が付いたら、誰かを好きになっていた。その誰かが、異性のこともあるけれど、何故か同性であることもあり得る。それは、社会的な認知がない故の、生きづらさ、辛さをもたらすが、そうであるより他なかったということがある。その場合「障害」とは、本人の在り方ではなく、生きづらさを生む、その壁、社会的な障壁のことをいう。

私たちは、他人が自分とは、違うように感じ、違う感覚をもって生きているということを、自分のもつ感覚から理解することは、なかなかできない。他人がどのように感じるかということは、想像しがたい。

私からみて、ある人の行動や、話が理解できない、ということがある。困ったと思うこともあるし、とんでもないと思うこともある。でも、自分には理解しがたいと思う行為を他人がする時に、その人には、その人なりの理由があるかもしれない。何故、そうなのか、ということについては、必ず背景がある。そこを理解しようとしないと、その人を理解することができない。

しかし、自分の理解を離れて、他人をわかることは不可能だ。自分の理解のことを「主観」ともいう。主観なしに相手をわかることはできないとすれば、人によってそれぞれ異なる主観、自分がどう理解しているか、を出し合い、互いに照らし合わないと、その相手をより深く理解することが難しい。

対人支援のベースになるのは、他者の理解である。他者の理解は、互いに、自分がどう受け止めたか、どう感じたかということを言い表し、他人の理解を知ることから始まる。そのような話合いを大切にしたい。


社会福祉法人翔の会

〒253-0008 神奈川県茅ヶ崎市芹沢786 TEL:0467-54-5424 FAX:0467-54-5498

Copyrights (C) syonokai All Rights Reserved 当サイト内の文章・画像等の内容の無断転載及び複製等の行為はご遠慮ください。